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40年で勝ち四十年たって負けそれから60年がたちました [視線]

みんなは日本海で起こった戦争知っていますか? これから記事にするのは、ペリー提督の黒船来航以来の日本の危機的状況についての記事です。 時期はぺリー提督の事件以来 約40年近くたってからの時代のお話です。  (明治37年5月) 日露戦争、 朝鮮半島の西側からのルートで日本は物資や資材の海路運搬をしていました。 今の北朝鮮のあたりに基地を作り、大量の軍隊を送り込み大陸の侵略をしていたのです・ そしてロシアは現在の中国リョジュンに強力な艦隊を用意して、日本軍を追い払っていました。 当時のリョジュン側の海軍には主力戦艦7隻。 駆逐艦9隻。と輸送艦があり、日本の輸送艦を拿捕、または沈没させていました。  そしてこのルートの日本の物資輸送には、日本の艦隊、6隻を用意して、物資の輸送の間の護衛に当りました。  このため明治三十五年、新しい連合艦隊旗艦、三笠が完成!   日本海で連合艦隊を名乗りました。 

当時のロシア帝国の領土は日本の六十倍! それはそのまま 60:1 の戦いで 、日本は当然負けそうでした。 ロシア帝国は日本の侵攻を食い止めるため、日本の補給路を断つことを決め、ロシアのバルト海にいたバルチック艦隊(戦艦8隻、合計30隻の大艦隊)を明治三十七年十月十五日にバルト海を出発。日本を殲滅するためにアフリカとインドを回って日本海を目指すと言う前人未到の地球半周、大航海を決意!旅立ちました。 それほどに当時の日本は、大陸に向けて一方的、非人道的な侵略を繰り返していたのです。 石油が欲しい、油田が欲しい。土地が欲しいこれは言うまでもなく日本の領土拡大が基本的な理由の戦争になりました。  日本はリョジュンのロシア艦隊と戦い、黄海で会戦しました。これが第一回目のT字戦法でしたが、先を読まれてリョジュン艦隊を取り逃がします。 後に旅順に侵攻、陸からの攻撃で艦隊と基地を攻略。  日本側にも6万人近くの犠牲者が出た戦争で、やっと勝ち残りました。  この時点でリョジュン艦隊殲滅。大航海接近中のバルチック艦隊はあと五ヶ月で日本海に着く距離まで来ていました。 日本の侵攻によって中国とロシアはリョジュンと北朝鮮を占拠され。 もう一つのロシアの日本海での拠点はウラジオストク。 朝鮮半島の東側大陸にあります。 バルチック艦隊はこのウラジオストクを目指していました。バルチック艦隊の通る道のりは、対馬海峡か津軽海峡かの二通りでした。 

5月25日午前に連合艦隊三笠で仕官以上参謀クラスの会議が始まりました。 部下の意見を元に東郷が出した決断は、予定の日になっても見つけられないバルチック艦隊をもう一日だけ待って対馬海峡で包囲することを決めます。27日明け方、四時四十五分 信濃丸から入電。 九州沖でバルチック艦隊確認!  三笠旗艦以下連合艦隊の出撃です。 決戦まであと八時間。 これが東郷平八郎の改良型T字戦法の二度目の作戦になります。 ロシア艦の射程距離は九千メートルから一万メートルとも言われ当時としては長距離でした。沖ノ島に連合艦隊が到着したのは朝の六時半。 

沖ノ島沖 午後一時五十五分開戦。 バルチック艦隊まで一万二千メートルの距離。 二時二分敵との距離一万メートル、そして明治三十八年五月二十七日午後二時五分!バルチック艦隊までの距離は敵の射程距離内、8000メートル地点にて、東郷ターン開始! 三笠左へ150度の転回。   当時バルチック艦隊司令官ロジェストビンスキー。日本連合艦隊東郷平八郎。  開戦です。    ロシア側の一斉攻撃!  連合軍 二時十分 三笠初段発射 T字戦法開始! ソワロフ被弾炎上 オスラビア沈没  アレクサンドラ三世沈没  以下二十四隻被弾  バルチック艦隊の最後でした。 日本連合艦隊の勝利で日本海海戦は日本の勝利になりました。 国で保有する海軍艦隊の主力を失ったロシア帝国は、ヨーロッパ諸国からの侵略の脅威にもさらされることになります。日本に今後の余力がないことは世界が認めていました。 つまり、日本が勝った後にすぐに日本と戦えば、簡単にロシアの領土と日本の領土を奪えることを世界は知っていました。 戦う力を奪われたロシアは、世界の力を借りて、和平を望みました。

東郷平八郎と言う人が大きな人だと私が知ったのは、この勝ち戦の記録ではなく、勝利の後に彼が書き残した文章を読んだからです。 海軍の象徴とも言われた東郷平八郎、実は彼はこの勝利は悲惨な勝ちであったと記しています。 国へきちんとこのことをご報告しています。 彼は、薄氷を踏むような奇跡の勝利だったと書き残しています。  当時の国民にはこのことは知らされず、ただ単に日本は優秀でどんな戦争にも負けないなどと国放で新聞で宣伝していました。その結果、日本人は自分勝手に強い国だと思い込み、 世界にも負けないのだと思い上がったことでしょう。その思い上がった人種が国が後の第二次世界大戦で、当たり前のように負けたことはみんなが知っている事実です。

ペリー提督に脅かされ、驚かされ40年。今度は自ら大陸へ侵略を繰り返し、中国。ロシア。韓国や朝鮮を侵略し、脅かし、かりそめの勝利を得てアメリカポーツマスでロシアと和解し、わずかな国土を広め、そしてまた 40年後今度はアメリカに侵攻し、二発の原爆まで落とされ、ボロボロに負けてこの一世紀の間に日本は一体何をしてきたのでしょう。 将来の無限の可能性を秘めた子供たちを戦場に借り出し、死なせ、将来の夢を断ち切り、親の愛情を踏みにじり、優秀な頭脳を死なせてきただけでしょう。   そして生き残った日本の優秀な頭脳は、今、諸外国に対し借金だらけの国を何とか生き延びさせようとしています。 返しきれない借金を返しながら、旧態依然の体制化において、国民の犠牲の下に国家が成り立っていると言えないでしょうか?  わたし、人間としては自信はあります。中学生としても。 でも、日本人としての自信があるかと聞かれたら、そうも言っていられなくなりそうです。 現在三笠と言う船は横須賀に保管されています。先日ママと行って来ました。三笠と言う船(戦艦)と言うより、鉄の塊で、人殺しの道具にしか見えませんでした。人々の、子供たちの将来を奪ってきた残酷に見えてしまって残念です。この環境で自分を失わない東郷と言う人物がわたしは大きな人間だと思います。

この次は、ヤマモトイソロク?という人について調べて見ましょう。

 


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