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ママは私のママ以前にパパの恋人? [母の日はママの日で大正解!]

ママとパパが一緒になったから、わたしが生まれました。この二人の結婚は約20年前、そのころ私は影も形もなくてこの世に存在すらしてませんが、そんな私も26日には18になるんです。うちの母は活動的で、健康的! 合気道の武術家でもあり、仕事先の会社では部長!なんて肩書もあります。 口癖が「どうせわたしゃひとりもの」・・・・・うちのパパは私が小さい時に亡くなり、女手一つで私は育てられました。 私はと言うと、身障者登録されていたし、義手や義足は成長期の子供には苦痛以外の何物でもなく、幾度もリサイズと肩や腰の施術とか手術もあり、高価なものを装着していたので、普通の女の子よりもお金が嵩んでいましたし~ 母の稼ぎは言うまでもなく私のために消えていったのでした。  最近母が、背後から抱きついてくることが多くなって、はた目には子猫の「ゴロニャン」!~ みたいに見えますが、本人もどうやらそのつもりらしいのです^^: 今まで子供だった私は家に帰るとすぐ、「ダッコ~」とか「おmぶ~」や、ママ登り~~」などしてママに甘えていましたが、どうやらこれからは私がママをあやしても良い季節が来たような気も・・・  /・ 考えてみれば、うちの母は、14年前に父と死に別れてからずっと一人で頑張ってきたのです。ママにとっては最愛の人、そして私のパパ。 ・・・・・。でも、それ以上にママにとっては、掛け替えのない人 パパはあの夜。後部座席の私を優しい目で見つめていました。「ぜったいいきろ」と言って私のお腹に手を当てて、私の血を抑えてくれていました。でも、救急車に寝かされていたパパは下半身が無くなってた・・ 横に寝ていた私も手足がなかったのを今でもよく覚えています。お母さんは翌朝病院に駆けつけます。第一報は宮城県警からで、「ご主人と娘さんが」と、言われたそうです しかし私だけは蘇生術のお蔭で7分間の臨終から奇跡の生還をしました。最近聞いたのは、ひっくり返ってくの字に折れたうちの車は運転席の背もたれと父の上半身を助手席の後ろまで押されていて後部座席の私の横まで来て私の左足を切断。前方不注意の車の荷台から飛び出したパイプに父と私は体を切断されました。義手義足のほか内蔵の移植を施し、私が動けるようになり、退院するまで3年半母は職場の上司の温情もあり働きながら私の看病に明けkれていました。そのとき寝たきりの私のために母が作った物差しの刺繍の入ったマフラーのような編み物が今でもタンスに入ってます。この布にはいろいろと文字も追加されてやく121cmで終わっています。たとえば、左手ができたとか足がついた。とかです。事故当時は3歳で二回目の手術は2001年の4月26日でわたしの4歳のお誕生日でしたその年のGWはすうっと激痛に悩まされていたことを今でも覚えています。ママは私の看病でどこへも行けず、三年半の間を過ごしました。動けない娘・・・一人きりの我が家・・・亡き家族・・・苦しくなる生活・・・治療代、長い休業、ブランク・・母はストレスと戦いながら子育てと看病と仕事を三両立していました。でも、最も辛いのは最愛のパパがいなくなってしまったことでしょう。今現在私は完治して高校も無事に卒業できました。一般の学校に通えていたのは、ママの働きによるものでした。そして私にはクラスメイトと言う協力者もありました。残念だったのは学校の規定だけでした。ほかの学生の妨げになるとのことで母は学校から何度も呼び出されてましたね。それでも母は、私には普通の学校生活を体験させたかったようで、おかげさまで今年わたしは県立高校を無事に卒業させて戴きました。 一段落して今、母が言います。・・・ほぼすべてが良い思い出。 わたしにはわかる。・・・・・ママのさびしい気持ち。・・・・・死に物狂いで生きていたあの頃、頼れる人もいないあの状況。・・・・・ママは、いまでも、パパが大好き! さて問題です。パパへの想い、私とママとどっちが大きいかしら? ^-^
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