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ママの記念日! [ママの日おめでとう!]

私のパパがなくなって今年で10年 ずうっとママと二人の生活が続いている・・・

言うまでもなく、パパは若き日のママの恋人! 八月はママの記念日が三つあります

8月1日の横浜花火大会・・・パパとママの初デートの日! 二人は結ばれたのだって ママに聞きました。 そして翌年の8月15日、ママのママ(岩手のお婆ちゃん)のお誕生日! でなんとお婆ちゃんの退院記念日でもあります。

当時の二人は貧乏で、なかなか結婚に踏み出せなかったと、聞いてます

96年の8月7日には結婚しました だから、結婚記念日!^^この年ママは21歳 パパは28歳 翌年の4月に私は生まれました。 

ママの記念日だけが残って、ママの大好きなパパは、今は思い出の人 ・・・ 私は幼かった頃にパパのいない理由を何度もママに聞いたそうです 。 ママは決して嘘は付かず、 パパの亡くなった時のことを詳しく教えてくれました。 ママが病院へ駆けつけた時、私も死亡と診断されて安置室に二人とも運ばれた後だったそうです。 担当医の誤診を見抜いたお医者様が再度私の体を見た時、私は虫の息でしたが、まだ生きていたのでした。 私の処置が再会されて、私は一命を取り戻したそうです。

あの時、ママは迷わずパパの臓器を私へ移植する事を決め、すぐ手術が始まったそうです。

私の気持ちは複雑で、 でもあの時既にパパは死亡が確認されていて、麻酔が覚めて痛みで苦しむ私に、ママは「あなた、メグを救って頂戴、そして、恵美、生き延びなさい」 繰り返し私へ呼びかけていました。 激痛の中で、わたしはこの、ママの血の叫びを記憶に焼き付けました。    わたしは、自分は生きてるけれど、パパは死んだのだと理解していました。

あとひとつは、死んでしまったのはママの愛してるパパだと言うことも理解していました。

最愛の人   ママ可哀想    全身が焼け付くように痛みました 私の心はもっと痛みました

ただただ、もがき苦しむ日々、眠れず、息をするのも死ぬ思いで歯茎や舌からいっぱい血が出ました

生きている証拠なのだから、痛みを受け入れるのだと先生が言いました 瞬きするのもイヤになるほど全身が疲れてた。 麻酔薬を使えない状態。 事故で左半身を失っているため、投薬の分量が計算できなかったそうです。  わたしは、ママと一緒に二ヶ月間、 悪夢のような激痛と戦い続けました。 もはや正常な判断力はなく、ただ、ベッドでもがき苦しんで呻いて、他の患者さんから苦情が出て、何度も部屋を変えられたそうです。  

あの二ヶ月間で、ママは痩せ細り、栄養失調の一歩手前までなり、 親戚の人達が交代で私に付きましたが、みんな、もがき苦しむ私の様子を見ていられず結局、ママが最後まで私の介護をしました。

おじさん、おばさんに今話を聞くと、みんな涙を溜めながら話してくれます。うめき声は人の・・こどもの声ではなく、野獣の叫び声のようだったそうです。全身痙攣状態で一昼夜いたこともあり、管やコードが外れないように、みんながわたしを押さえつけました。 お見舞いであっても、子供には見せられない状態だったので、面会は大人の人だけでした。

ママは栄養剤を自分に投与してもらいながらの看病に入りました。 ようやく回復の為の手術の日が来ました。 

直前に打たれたモルヒネで、救われました。あの一瞬は自分で鮮明に覚えています。二ヵ月間ずうっと激痛に悩まされていた私は、はじめて幸せな気持ちになりました。 あ~いたくない なにもかんじないって 素晴らしいことだと思いました。 この日この時 わたしはやっと死ねるんだと考えたことを、忘れません。 眠くなる一方で、「シナセテクダサイ」と思いました。

起きたのは一週間たったある日 日付は既に五月にはいってました。  みんなが集まって遅ればせながら、誕生日と、手術の成功を祝ってくれました。 痛みはなくなっていて、体がポカポカしてて、とても軽かったの覚えてます。

そしてこの日も、ママの記念日になったそうです。 5月3日「恵美復活祭」だそうです。 ww

ママには記念日がまだ少ないと思ったから、ママの為の記念日を考えています。 ママは私の為に自らの命をすり減らしている ・・・ そんな気がしたからです。 ママの命 ママの心 ママの気持ち ママが自分の為に使って欲しいなと、私は考えます。 逆もあり得るのです 私にとってママは命の恩人で親友でパパの恋人で保護者で大切な存在。わたしがただの肉片になろうと、私を愛してくれています。

だから、リハビリも頑張りました。 装具ズレにも負けません! いろんなクッションも考えました。わたしはママに恩返しをするのです。 潰れた車の中でパパが言いました。

「なにがあっても恵美は生きなさい!」 「死んではいけない!」   パパの最後の声でした。

今になって 思います 自分のほうが重症だったでしょうに・・・・・  わたしへの声かけは、眠りそうな私を現実の世界に留まらせようとしていたのかも知れません。 可哀想なパパ 最後にママに会いたかったと思います。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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yukali

うん、聞いて知ってる。 あの時 周りの大人たちのせいで、私はメグと引き離されたんだよ? 再開したのは メグのリハビリ始まってから。 休み時間にいっぱいいっぱいお話したね 初めての義手も義足も覚えてる メグが目の前で走ったのはとってもビックリ! 木にも登ったよねいっしょに遊べたあの頃が懐かしいけれど、メグにとっては とても痛い記憶なんだね   
  
by yukali (2011-08-29 13:54) 

恵美

自身のある方は「美沙」までメールください。+.(・∀・).+→ http://fgn.asia/
by 恵美 (2012-07-08 21:24) 

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